前回のパート2では早川書房SFマガジン版の新幻魔大戦の成り立ちと中断について述べた。
前回の最後で、平井和正が新・新興宗教にかぶれてしまったことについて触れたが、それに関しては機を改めて触れたいと考えている。
今回は1980年代に人口に膾炙した幻魔大戦の成り立ちと中断の経緯である。
1979年に石森章太郎は平井和正に「幻魔大戦をやりたいー」という相談を持ち掛ける。
徳間書店SFアドベンチャー3月号 幻魔シリーズ大特集 読者インタビュー P189に次のように書かれている。
読者M:
そのあと(新幻魔大戦)のあと『幻魔大戦』(角川文庫版)、『真幻魔大戦』まで、しばらくの間中断していましたが、再開のきっかけになることが何かあったのですか。
平井:
そうですねーマンガ版『新幻魔』も途中で終わってしまったんで、いつかはかたをつけなければ、とは思っていました。ただ、もともと石森章太郎さんとの共作ということで始めたものですから、一人で勝手にやるわけにはいかなかったんです。で、1978年に『悪霊の女王』のパート2を書こうとしていたんですが、これが書けないんですね。書こうとすると、本当に毎晩悪霊がやってくるんです。特に寒い季節ははげしくて、風邪をひいたら二カ月以上も熱が下がらないんです。 どうしても筆が進まないんで、『悪霊ー』を中断して、"ウルフガイ"を書くことにしました。『若き狼の肖像』がそうです。 こっちはスムーズに書けました。翌年、79年ですか、『若き狼―』を書き終えて、もう一度『悪霊ー』に取りかかったんですが、やはり書けなくて、結局あきらめてしまいました。 そこに浮上してきたのが"幻魔大戦"シリーズなんですね。ちょうどそのころ、石森さんから『リュウ』で『幻魔大戦』を始めたいという電話をもらいまして、それなら二人で別々にやろうということになったー フリーハンドでできるようになったわけです。不思議なことに、それがものすごくいいタイミングで起こってるんですね。 二人でバラバラに準備をしていたところへ、同時に「用意、スタート!」の合図がかかったんですから。
こういう経緯で始まったのが、リュウ掲載版幻魔大戦と真幻魔大戦だった。
当時のSFファンの真幻魔大戦に対する反響はかなり大きなものがあったようである。
平井和正は同年1979年10月発行の角川書店 野性時代12月号にて幻魔大戦を連載開始する。
この野性時代掲載の角川文庫版幻魔大戦がスタートした経緯は次のとおりである。
1982年 平井和正の幻魔宇宙 平井和正氏を囲む読者代表特別座談会 最近の心境を語る アニメ版 幻魔大戦について語ろう P54
読者N:
自分自身で変わったという気持になられたのは、角川から『幻魔大戦』を続々と出されたころからですか
平井:
いや、その前に徳間で連載を始めんですからね。79年の6月号だったかな。徳間の『真幻魔大戦』を書いているうちに、 漫画の『幻魔大戦』がとても比重が軽くなってしまったんですね。つり合いがとれないんですよ。 あの漫画じゃどうも軽すぎる。補完するかたちでやらなきゃいけない。 それで角川の『幻魔大戦』が生まれたんですね。
「少年マガジン」で石森さんと共作をはじめた時、原作は小説として書いていたんです。 それで、引っぱり出してみましたら、非常に雑な代物なのですね。 これではいけない、小説としてもっと完全なかたちにしよう、ということで書きはじめたんです。 そしたら、三巻まで書いた時点で突如、違っちゃったんです。猛烈な勢いでコミック版から離れてしまいまして、 あれよあれよといってる間に全く独自の『幻魔大戦』が生じてきた。
この角川文庫版幻魔大戦、1巻から3巻までがSF超能力バトル小説として今読んでも面白い。 それが当時の1巻当り290円程度で書店で平積みで売られていたらしい。 少年少女たちはお小遣いから捻出してこれを購入したという事もあって、 幻魔大戦はヒット作になる。そして、1983年の角川アニメ映画版の幻魔大戦で更にセールスを伸ばしファンも増加したのだと思う。 (私WO8TimeSpace175ZERO2は敢えて4巻以降の評価については今回は触れない。それは機を改めて触れたいと思う)
ちなみに、リュウ掲載版幻魔大戦は当初は人気があったようだが、徐々に人気が無くなり、『リュウ』の看板作品は安彦良和のアリオンとなり、幻魔大戦は髑髏都市の章の途中で打ち切りになってしまう。
平井和正の角川文庫版幻魔大戦はヒットして、1983年の春休みアニメ映画として東宝東和の配給で劇場公開された。 しかし、そのタイミングで幻魔大戦の野性時代の連載が中断してしまう。
なぜか?その原因は1982年に遡る。角川アニメ映画化をきっかけにして、石森プロの某Kマネージャーが平井和正に過干渉し、 角川文庫版幻魔大戦1~20巻の平井和正に対する印税と原稿料の50%を石森章太郎サイドに支払う話をつけてしまう。 平井和正として流石に不本意なため、払い続けなくするにはどうしたらよいかと某Kマネージャーと話し合いを続けたところ、 作品のタイトルに「幻魔大戦」という言葉をつかわなければ、印税・原稿料の折半は不要と回答したため、 角川文庫版幻魔大戦は、21巻分以降をハルマゲドンと改題することになる。 パッと話を聞くと、石森章太郎が一方的に悪者に聞こえるこの話。 よくよく調べてみると、石森章太郎サイド、平井和正サイド、角川春樹サイド、三者それぞれに問題があったことがわかってくる。 この辺の話については、次のコラムなどをご参照頂きたい。
そういったトラブルや1983年に一週間余り高熱で寝込むなどの体調不良も重なってか、平井和正は幻魔大戦に対する創作意欲がなくなっていき、 ウルフガイを書きたいと言い出し、ハルマゲドンの少女を完結させ、真幻魔大戦第3部を尻切れトンボに無理やり終わらせて、 幻魔大戦を二年間は休むと言って中断してしまった。 そして、ウルフガイ復活の触れ込みで黄金の少女の連載が始まる。
幻魔大戦とはあまり関係がないが、1986年にリアル犬神明騒動という出来事が起きる。自称・犬神明と名乗るイタい47歳頃の中年男性某S氏を森優が平井和正に紹介し、平井和正がそれを本気で信じて、SFアドベンチャー誌1986年8月号でリアル犬神明の60ページの特集をやってしまったという出来事である。 私WO8TimeSpace175ZERO2が思うに、平井和正は某S氏がペテン師だとわかっていて、やったのではないかと思う。入手して読んでみたが「これ、学研のムーのネタまんまやんけ・・・」というのが私の感想である。 当時の徳間の編集者が「自分の来歴を平井和正の書いているように言うけど、それ平井先生の文章じゃないの?」と聞くと、某S氏は「そうじゃない」といい、平井和正は「彼は国際的な謀略に立ち向かっているから、それ以降は関知しない」と真面目に編集者に言っていたらしい。 私WO8TimeSpace175ZERO2の憶測はどうでもよいのだが、平井和正がSF雑誌でそういう荒唐無稽すぎることをやりだしたので、SFアドベンチャーの読者や関係者はかなり呆れていたらしい。 SF小説読者層や関係者が平井和正に呆れ果てているその時期に、角川書店はロードス島戦記という書下ろしファンタジー小説を刊行した。
ティーンたちが手軽に読める、マンガのシナリオのようなファンタジー小説が市場に供給され、ティーンたちもそれらを需要として買い求める時代が到来するのである。 平井和正という作家の名前やウルフガイ・幻魔大戦という作品名が、ティーンたちにとって「知らなくてよいもの」となっていくー1980年代末、1990年代とは平井和正にとって、そういう斜陽の時代となる。私WO8TimeSpace175ZERO2は、トークイベントの懇親会で、元徳間書店の編集長の方とお話をする機会を頂けたことがある。 その時にその方に質問した。「平井和正は二年後に幻魔大戦を再開すると言いつつ、『黄金の少女』の後に『地球樹の女神』を始めましたが、その時、どう思われましたか?」
元編集長の答えはこうだった。
「あの時の平井和正は昔の話の使いまわしばかりして作家として枯渇しておりました。」
カドカワノベルズ版『地球樹の女神』の改竄問題、徳間書店版『地球樹の女神』の言葉狩り問題。平井和正はその後も出版社と次々と揉め続け、 自主出版という道に辿り着くことになる。