野性時代版(角川文庫版)幻魔大戦の印税の50%を平井和正が石森章太郎に支払っていた事を証言する文献スクラップブックID:scrapbook006
新規作成日:2019年09月16日
更新日:2019年09月22日
小学館サンデーうぇぶり 「幻魔大戦 Rebirth」第43話 「東丈の帰還Ⅲ」 コメント欄 2018年2月10日 No.33
図 01 「無印幻魔大戦は少年マガジン版のリライトということのため、石森プロと版権料を折半していたと言われていますが・・・」という書き込みに対して・・・ 小学館サンデーうぇぶり 「幻魔大戦 Rebirth」第43話 「東丈の帰還Ⅲ」 コメント欄 2018年2月20日 No.38
図 02 図01のNo.33の書き込みに対して、早瀬マサト先生は「④の版権料というのは原稿料のことでしょうか?それとも印税のことでしょうか?どちらにしても角川文庫の平井和正先生の小説「幻魔大戦」の配分を石森プロは受けてないですよ???」と回答したが、この回答の内容は図6以降に紹介する文献や角川春樹の証言の内容と矛盾する。また、早瀬マサト先生は6年ほど遡る事、2012年9月30日にアニマックスで放送していた角川映画の幻魔大戦を視聴しながらツイートをしていた。2012年09月30日 23:24:05にツイッターで七月鏡一先生に対し「当初は漫画版を原作としてなかったのに「月が…」ラストだったのですか?」とリプライし、同日23:29:38に「はじめは原作平井和正だけだったのですよね。それを石森プロが当時はいずみあすか(石森章太郎)も原作をやってると、少年マガジンの扉を角川書店に持って行ったと聞いてます。」と回答。加えて、ヒライストライブラリー著作/管理者 岡本正貴氏が「桂千穂と内藤誠のシナリオ第1稿(1981年12月頃?)は、角川文庫版1-3巻に、映画としての決着をつけるため漫画版のラストをつけたものだった、と、丸山正雄が書いてます。」というツイートを2012年10月01日 00:03:01に七月先生と早瀬先生にコメントしていた。後述する角川春樹の証言を読んだ後に改めて、このツイートを読んでいただくとお気づきになると思うが、このツイートのやり取りを見る限り、早瀬マサト先生は、石森プロの某Kマネージャーから"角川春樹サイドが角川映画幻魔大戦シナリオ第1稿はあくまで角川文庫の幻魔大戦を原作としているストーリーだと主張していたこと"を共有されていたことがわかる。ちなみに、りんたろうや丸山正雄に「角川映画の幻魔大戦の原作って平井和正と石森章太郎共作の漫画の幻魔大戦ですよね?」と直接口頭で質問すると、顔色を変えて「誰が石森章太郎に何を言ったのか知らないが、あの映画の原作はあくまで角川文庫の平井和正の小説の幻魔大戦だ。」とムッとしながら答えてくれるはず。石森章太郎は角川映画の幻魔大戦に原作だけでなく製作者としてもクレジットされているが、実は、石森章太郎は角川映画の幻魔大戦では実質何もしていない。 2018年2月2日に催された「平井和正氏を偲ぶ会」で公開されていた角川映画幻魔大戦シナリオ第1稿
図 02´ また、早瀬マサト先生は「平井和正氏を偲ぶ会」で閲覧した角川映画幻魔大戦シナリオ第1稿に対して、2018年02月02日 23:58に、『映画はもちろん、当時角川文庫で発売された「シナリオ幻魔大戦」とも全然違う…。シグもフロイの子供たちもナオミちゃんも、ナオミちゃんのお人形まで登場する!!決定稿なのになぜこのまま制作してくれなかったのか…(´Д` )』とTwitterで発言している。おそらくだが、早瀬マサト先生は、この時点ではまだ、1982年に石森章太郎サイドと角川春樹サイドと平井和正サイドで"或る揉め事"があったこと自体を知らなかったのではなかろうか? 小学館サンデーうぇぶり 「幻魔大戦 Rebirth」第54話 「虎の檻Ⅵ」 コメント欄 2018年12月28日 No.40
図 03 早瀬マサト先生が2018年12月28日のサンデーうぇぶりの応援コメントに対して、「世間では色々な噂がありましたが、平井先生と石ノ森先生に確執などないですよ。」とコメント。何をもって確執と呼ぶかという問題もあるとは思うが、後述する角川春樹の証言の通り、平井和正サイドと石森章太郎サイドは一時期関係がうまく行っていなかった事は事実である。 小学館サンデーうぇぶり 「幻魔大戦 Rebirth」第49話 「虎の檻Ⅰ」 コメント欄 2018年07月29日~2018年07月30日 No.32~No.35
図 04 2018年07月29日のコメント:「(2018年7月28日の石ノ森萬画館のイベント)大瀬克幸x早瀬マサトトークショー行ってきました。プロジェクターに映して頂いた魔法大戦第1話の平井和正肉筆原稿ですが、あれはあくまで連載開始前の企画段階の物であって、幻魔大戦第1回の原稿は別に存在すると言う事で良いですか。幻魔大戦第1回の原稿は別に存在すると思います。平井和正ライブラリ第7集で一部出版されたことがあるはずです。」に対して、早瀬マサト先生は「いえ、あれ(2018年7月29日の石ノ森萬画館のイベントでプロジェクターで映写した魔法大戦原稿)が平井先生の第1話(週刊少年マガジン版幻魔大戦連載第1回)です。あれを受けて石ノ森が漫画用のプロットを書いて、漫画にしています。」と回答している。 小学館サンデーうぇぶり 「幻魔大戦 Rebirth」第49話 「虎の檻Ⅰ」 コメント欄 2018年07月30日 No.36,No.38
図 05 No.36の読者からのコメント「魔法大戦第1話原稿が幻魔大戦連載第1話の平井和正の肉筆による最終的なシナリオであることが真実や事実であるならばファンの間で囁かれているハルマゲドン改題に関する歴史的な史料が発見されたことになります。」に対して、早瀬マサト先生はNo.38で「原作は平井先生だけでなく、いずみあすか(石森)の名前も併記されていますから、共同原作としておかしくないと思います。それにあの1話のプロットも残っているのです。また他の話数のシナリオも若干残っていて、それと完成原稿を照らし合わせていますから、まず間違いはないと思いますよ。もちろん信じる信じないは自由です。」と回答している。後述の角川春樹の証言と関連してくるのだが、これは"或る事"を裏付ける証言となっている。 徳間書店 1984年9月 平井和正の幻魔宇宙Ⅳ 巻末 エディトリアルノート
図 06 では図02/03の早瀬マサト先生の発言を反証する文献資料を図06から紹介していく。徳間書店 平井和正の幻魔宇宙Ⅳ巻末のエディトリアルノート 「1981年12月21日にSFA82年3月号掲載の原稿を受ける」とある。図07の資料の通り、徳間書店SFアドベンチャー1982年3月号は1982年1月に販売された。特集内容は「幻魔シリーズ大特集」。「幻魔シリーズ主要人物相関系図」というページでは漫画版・幻魔大戦が小説作品の比較対象として挙げられている(当サイトの「誌面スクラップブック→幻魔シリーズ大特集」を参照)。そして、当サイトの「コラム→幻魔大戦 Rebirth 第9巻の元ネタ」で紹介している石森章太郎のイラストがP194-P195に掲載されている。しかし、1982年9月に発売された徳間書店 SFアドベンチャー増刊『平井和正の幻魔宇宙』には永井豪のイラストの寄稿があるのに肝心の石森章太郎のイラストが掲載されておらず、作品相関図にも少年マガジン版幻魔大戦が記述されていない(当サイトの「誌面スクラップブック→幻魔大戦相関図」を参照)。奇想天外やリュウでは石森章太郎と平井和正は仲良く対談していたのだが、1982年から1984年に発刊されたSFアドベンチャーの増刊ムック「平井和正の幻魔宇宙」4冊を読むと、平井和正サイドと徳間書店のSFアドベンチャー編集部が石森章太郎を避けているような違和感を覚える。少なくとも、1982年1月発刊のSFアドベンチャーに石森章太郎のイラストが寄稿されていることから、この1981年年末か1982年年初辺りまでは平井和正サイドと石森章太郎サイドの関係がうまく行っていたことをうかがえる。 幻魔大戦関連年表 1982年/1983年
図 07 リム出版 平井和正全集 38 (幻魔大戦 1(幻魔宇宙))幻魔大戦関連年表P252よりSFアドベンチャー1982年3月号は1982年の1月に、野性時代版幻魔大戦⑱「ハルマゲドン幻視」掲載の野性時代8月号が出版されたのが1982年6月。ちなみに、野性時代8月号分の幻魔大戦の原稿執筆時期が1982年2月から5月の間と仮定すると、昔から狂信者的な平井和正ファン(ヒライスト)の間でも言われている「野性時代版幻魔大戦18巻ハルマゲドン幻視は話がほとんど進まず延々と議論やセミナーの講話ばかりで読みにくい」という意見の妥当性が推測できる。 徳間書店 月刊アニメージュ 1982年7月号 P45
図 08 1982年5月13日に帝国ホテルで製作発表記者会見。角川春樹、石森章太郎、りんたろう、大友克洋がそろっている。なぜか、平井和正はいない。ニュース記事の中では次のようなことが述べられている。ベースとなる原作はコミックス2巻(秋田書店刊)と角川書店版『幻魔大戦』第1巻。総製作費3億をかけ2時間10分の作品をつくるという。その製作決定までのいきさつをP・D角川春樹氏はこう語る。「『人間の証明』と『宇宙戦艦ヤマト』、そして『野性の証明』と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の公開が重なり、以来、アニメに興味が湧き3年前からアニメ映画の具体化を進め、昨年の夏『幻魔大戦』を正式決定、今年1月から製作に入っています。」 角川春樹サイドとしては、あくまで、角川映画なのだから角川書店の書籍が原作ということにして欲しいと石森章太郎サイドと調整したと思われる。映画での原作のクレジットの書き方が微妙なのだが、「平井和正(角川文庫版) 原作 石森章太郎」になっている。内容を見ると一般的な見解としては原作は明らかに秋田書店版なのだが、角川春樹サイドとしては「角川文庫版が原作」というメンツは守りたかったようである。幻魔大戦の映画を実際に見ると、ストーリー自体は秋田書店版のダイジェストになっていて、ところどころが角川文庫版の設定に変更されていたり、映画オリジナルの設定に変えられていたりする。 徳間書店 月刊アニメージュ 1982年7月号 P46
図 09 1982年1月にマッドハウスの隣に「プロジェクトチーム・アルゴス」という角川書店関係の仕事をするためのアニメ制作スタッフルームが新設されて幻魔大戦のアニメ製作が開始されていたことに言及されている。この記事を書いている時点(1982年5月か6月頃?)で「前半40分程度の作画が進み絵コンテの後半部分を構成中」だったようである。角川春樹サイドとしても映画のどの部分が角川書店版を原作と説明するかには考慮していたようで、図08の記事では控えめに「角川書店版第1巻」と書かれている。おそらく、少年マガジン版に登場しない沢川淳子を登場させたり、沢川淳子になりすました幻魔ザンビとのバトルシーンや東丈が東三千子を連れて飛行するシーン(ここ自体は角川文庫版第2巻)などが角川文庫版に準拠している。りんたろうとしては遊園地のシーンは角川文庫版の東三千子と東丈の関係を描くために追加したものであり、このシーンがあるからこそ、角川映画幻魔大戦の原作は秋田書店版の漫画ではなく、角川文庫版の平井和正著の幻魔大戦だと言えるらしい。少なくとも私WO8TimeSpaceZERO2は苦しい言い訳だと思う。 キネマ旬報社 2009年12月 PLUS MADHOUSE 4 りんたろう P81
図 10 図08の記事では総製作費3億と述べられているが、その内2億5千万円がりんたろうに預けられた。角川映画初のアニメ映画「幻魔大戦」の本質的な目的は平井和正著角川文庫版幻魔大戦の忠実な映像化でも秋田書店刊の少年マガジン版幻魔大戦の映像化でもなかったのである。パトロン角川春樹から2億5千万円という大金を出資されたりんたろうの本質的な動機は、1981年当時としては尖りに尖ったアニメ映画を世に放ち、アニメ界に波紋を起こす事だったのである。キネマ旬報社 2009年12月 PLUS MADHOUSE 4 りんたろう P81の下段で、りんたろうは次のように回想している。―絵コンテを描いている最中だったかなあ(WO8TimeSpace175ZERO2註:2018年7月21日のトークイベントではりんたろうは「絵コンテに入るか入らないかの頃」と述べていた)。春樹さんから呼び出しをくらったんだ。角川書店に行ったら、春樹さんがベンツに乗り込む寸前だった。それで、僕も車に乗せられて銀座に向かった。春樹さんは「もしかしたら『幻魔大戦』は、おじゃんになるかもしれない」と言うんだ。僕たちが作ろうとしたのは、平井和正さんの小説の映画化だったんだけど、『幻魔大戦』って、その前に石森章太郎が描いた漫画版があるんだよね。それで、石森章太郎とそのマネージャーが、映画化に待ったをかけてきた。それで春樹さんが「うちのほうの根回しが足りなかった。これから会いに行くんだけど、もし話が決裂して、石森章太郎の絵でやらなくてはいけない事になったら、どうする?」と訊いてきた。・・・・2018年7月21日のトークイベントで、りんたろうは、幻魔大戦映画化頓挫寸前の出来事だったと述べていた。どうやら、石森章太郎のマネージャー某K氏はそれくらい険悪な雰囲気で角川春樹サイドに抗議してきたようである。ただ、「PLUS MADHOUSE 4 りんたろう」や2018年7月21日のトークイベントでのりんたろうの発言を読み聞きする限り、りんたろうは石森章太郎とそのマネージャー某K氏の主張の意図を若干理解できていないように思える。石森章太郎と某Kマネージャーは石森章太郎の絵やキャラデザを踏襲しない事を抗議したのではない。1967年の幻魔大戦は平井和正との共作で設定やストーリーを考えて走っていた著作物なのに、角川春樹と平井和正が自分たちのことを失念して(あるいは無視して)幻魔大戦のアニメ映画化を進めていた事に抗議したのではないだろうか。 キネマ旬報社 2009年12月 PLUS MADHOUSE 4 りんたろう P82
図 11 「銀座について、春樹さんがちゃんと話をしたら、原作のところに石森章太郎の名前を入れる事で解決はした」 ただ、2018年7月21日のトークイベントで、石森章太郎サイドとの"揉め事"は色々とオープンにできないことがあるとしながらも、『PLUS MADHOUSE 4 りんたろう』P81-P82と同様の内容を語っていらした。2018年7月21日のトークイベントでは、この"揉め事"の前振りとして、りんたろうは次のようなことを述べていた。桂千穂と内藤誠の認識にりんたろうと行き違いがあって、角川文庫版の幻魔大戦を原作として使わずに秋田書店刊の少年マガジン版幻魔大戦を原作としてシナリオ第1稿を執筆してしまっていた。そのことがアニメ業界の業界人/スタッフ間に噂として広まり、石森章太郎の耳にその噂が入り、某Kマネージャーが角川春樹サイドに抗議してきたらしい。その抗議が来るまで、おそらく、角川春樹もりんたろうも漫画版の原作(ストーリー/シナリオ)を考えたのは平井和正なのだから、漫画版のストーリーを使うことに何の違和感も課題意識もなかったのだと思う。りんたろうとしては、角川春樹と平井和正を立ててあげて、「東映動画にはできない劇場アニメをつくろうとしているのに、昔の漫画の方にちょっと絡んで共同原作者として名前が入っているというだけで、石森章太郎はなんで因縁つけてくるんだよ・・・」くらいに思っているのかもしれない。もし、今だにそう思っているのだとすれば、それは某Kマネージャーの抗議の意図を十分に理解できていない。図04/図05の早瀬マサト先生の2018年7月30日/31日の発言をよく読んでいただきたい。石森章太郎は少年マガジン版幻魔大戦連載第1回のプロットを平井和正の原作シナリオをほとんど使わずに自分で考えていたのである。おまけに共作者いずみ・あすかとして石森章太郎も秋田書店刊の少年マガジン版幻魔大戦にクレジットされているのである。この事実を一方的に無視していたのは角川春樹サイドの落ち度であり、石森章太郎サイドが抗議してくるのは当然である。 キネマ旬報社 2009年12月 PLUS MADHOUSE 4 りんたろう P80
図 11´ 2018年7月21日のトークイベントの懇親会で私WO8TimeSpace175ZERO2は、りんたろう監督に「なぜシナリオ第1稿をボツにしたのですか?石森章太郎の干渉は関係ありますか?なぜシグがカフーに変わったのですか?」という質問をした。りんたろう監督の回答としては「シナリオ第1稿をボツにした理由は、東映動画にもできる脚本だと思ったから。石森章太郎の干渉は関係が無い。シグがカフーに変わったのは大友克洋と永井荷風の写真を見て永井荷風みたいなラスボスが面白いと思ったから。」と回答された。正直何を言っているのか私WO8TimeSpace175ZERO2はピンと来なかったが、りんたろう監督の顔に「これ以上石森章太郎の話はしないでくれ・・・そもそも石森章太郎は角川映画の幻魔大戦に全然関係ないんだ・・・」と書いているような気がしたので、それ以上質問をするのはやめた。 石森章太郎サイドが抗議してくる以前にりんたろうはシナリオ第1稿を読んで、あまりに漫画版に寄り過ぎていて、角川書店や角川春樹のメンツ的にまずいのではないかという懸念はあったのかもしれない。実際に2018年7月21日のトークイベントの懇親会で、りんたろうは1981年当時までに既刊の角川書店版幻魔大戦には全て読んでいたと語っていた。そこで桂千穂と内藤誠のシナリオ第1稿を一旦NGにして、真崎守と丸山正雄を投入し、角川書店版の設定や内容にある程度寄せたのではなかろうか。「石森章太郎の干渉は関係ない」というのは「ボツにした理由自体としては関係ない」という意味だと思う。七月鏡一先生が2018年2月2日23:08にTwitterに投稿したシナリオ第1稿画像を読むとわかるが、第1稿から第2稿へ変更に際して、少なくとも次の点が改訂されていた。
①砂漠で倒れた東丈は第1稿では漫画版の通りナオミの父親の病院に運ばれるが、第2稿ではナオミが登場せず、江田四朗により、カフーが研究者として擬態している超能力研究所に担ぎ込まれる。②シナリオ第1稿では富士山で東丈を指導・トレーニングするキャラとして漫画同様にフロイの101匹の息子たちが登場し、その内の1匹にはチコという役名が与えられている。第2稿ではフロイの101匹の息子たち自体が登場せず、それがアサンシと原田知世演じるタオという角川映画版のオリジナルキャラに変更されている。③ラスボスはシグでラストに漫画版と同様に髑髏の月が地球に落ちてくる。第2稿ではシグがカフーというキャラに変更され、カフーが変身した火竜を倒すことで、なぜか「幻魔一族が滅びた」とベガが宣言し、スピリチュアルな感じでハッピーエンドを迎える。
この3点のストーリーは漫画版にはあるが、角川文庫版の幻魔大戦には無いストーリー展開で、「第2稿も結局は秋田書店版を原作にしてるじゃないか」と多くの人が思う理由である。 改めて『PLUS MADHOUSE 4 りんたろう』のP80を読むと、「この画(大友克洋の絵)で『幻魔大戦』をやるのは、東映にはできない。他の映画会社にもできない。これを使って、俺たちじゃないとできないものにしてやろうと思った。」とりんたろうが述べている。これを読んで「東映動画にもできる脚本だと思ったから。」という回答の意味が分かった。少年マガジン版のまま、後半を映像化すると、後々、石森章太郎と関係が強い東映や東映動画(現・東映アニメーション)が幻魔大戦を実写化/TVアニメ化する時に、自分たちの作品と比べられてしまう。だから、「俺たちじゃないとできないもの」にするため、仮に東映が幻魔大戦を映像化しても比べられないものにするために、敢えて映画後半の登場人物を漫画には登場しない映画オリジナルのキャラクターに変更したのではないだろうか。また、「シグがカフーに変わったのは大友克洋と永井荷風の写真を見て永井荷風みたいなラスボスが面白いと思ったから。」という回答だが、唐突に永井荷風が出てきた経緯が理解できなかった。おそらくだが、私WO8TimeSpace175ZERO2の妄想だが、次のような事情ではないだろうか。りんたろうはシグに代わるキャラを模索する際に、小説版の幻魔ザメディ/ザンビが漫画版ではサメディ/ゾンビーとブードゥー教の用語に由来していたことを参考にして、ブードゥー教の用語を調べていて、メット・カフー(Mate Care-For)が候補に挙がり、カフーと言えば「永井荷風」じゃない?、資料を取り寄せてみたら、丸眼鏡をかけて細長の顔をした老人がしっかりした身なりで写っている写真。しかし、笑った時の写真を見ると、差し歯をせずに歯欠けで笑っている。そういう風貌が、石森章太郎デザインのシグに代わるふさわしいラスボスだと思ったのではないだろうか。 銀河盗賊ビリィ・アレグロ/都筑道夫 奇想天外社刊 表紙イラスト
図 11´´ りんたろう監督が大友克洋の採用を決めたイラスト 角川春樹事務所 いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命 P187-P188
図 12 図02の通り、早瀬マサト先生は2018年02月20日に「原稿料のことでしょうか?それとも印税のことでしょうか?どちらにしても角川文庫の平井和正先生の小説「幻魔大戦」の配分を石森プロは受けてないですよ???」というコメントを出している。そして、図 03の通り、2018年12月28日に「世間では色々な噂がありましたが、平井先生と石ノ森先生に確執などないですよ。」コメントした。これらのコメントを明確に否定するような内容の証言を角川春樹が「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」という書籍のP187-P188でしている。
画コンテ段階でトラブルが発生した。石ノ森章太郎のマネージャーが、映画化に待ったをかけてきたのだ。前述のように、りんがアニメ化に採用したのは平井和正の小説版だった。「元々、石ノ森さんと平井さんの二人の共作ですから、著作権は両者にあるわけですよ。それに普通の共作なら、原作平井和正、漫画石ノ森章太郎で分担するところ、石ノ森さんはストーリーにもタッチしていたようですし。そのうえ、平井さんと石ノ森さんの関係もうまくいってなくてね。さらに映画化にあたって選んだキャラクターは、石ノ森さんのではなく大友さんの絵。これはどう考えても揉めますよ。で、大友さんの絵で無ければ降りる、とりんさんは言う。私は石ノ森さんの漫画版で月が髑髏になるラストが強烈に印象に残っていた。しかし新機軸を打ち出すため、『角川映画が初めてアニメをやるなら、大友克洋の絵で!』というりんさんの主張に、私も全く同意見でした。だから解決していくしかなかった」
クレジットには<製作・原作:石ノ森章太郎>と表記されている。
「とにかく映画に石ノ森さんの名前は出さなければいけない。結果的に、角川書店で発行していた平井和正版『幻魔大戦』シリーズの途中から、平井和正さんの印税の半分を石ノ森さんに支払うことにしたと記憶しています。そういう形をとるしかなかったんです。」(同様のことを『PLUS MADHOUSE 4 りんたろう』のP148でも述べている)
また、文庫版の表紙に大友のイラストを使用すると、今度は平井和正から「主人公の顔つきが険悪だ」というクレームが付いたという。りんたろう発案による、漫画の革命児のアニメ・デビューにはこうした障害があったが、春樹の処置によって事なきを得た。 (発行=シャピオ、発売=みき書房)SFイズム 1983年VOL.3 No.3 SF映画何でも対談 お楽しみはどこにある!? 於 1983年4月23日 りりとはうす(東京原宿)P70-P71
図 13 角川春樹の証言と併せて、1983年に発売された『SFイムズ』という雑誌の「SF映画何でも対談 お楽しみはどこにある!?」という対談コーナーで語られている噂話を紹介する。これは、ビデオクラブBLAST & りりとはうす店長 鈴木光一氏とSF映画評論家で日本SF作家クラブ会員の井口健二氏による1983年4月当時のSF映画に関する情報判断対談企画コーナーのようである。当事者による証言ではないが、興味深いことを話している。このP70-71の中で、
①「角川春樹は石森章太郎の名前を一切出さないつもりだったが、石森章太郎のマネージャーがゴリ押しで角川映画幻魔大戦の製作というものすごい不思議なポストに石森章太郎をクレジットした」
②「角川版20巻の文庫の印税は石森・平井で折半」
③「角川文庫版幻魔大戦第20巻の平井和正のあとがきは、映画に対する挑戦でコミック版否定論。」
④「角川映画の幻魔大戦アニメ化を少年マガジン版で準拠で作ってしまったから、意味がない。」
という旨のことをしゃべっている。④については微妙な事を言っていると思うが、角川アニメ映画幻魔大戦とはなんだったのか?というテーマについては、いずれ、当サイトのコラムで書く予定である。①は角川春樹の証言と一致するところである。②もそうなのだが、対談で話し言葉でしゃべっているために、事情を知らない人に誤解されやすい。「折半」というふうに助動詞などのニュアンスをつけないと、平井和正と石森章太郎が1979年から角川文庫の幻魔大戦の印税を折半していたように事情を知らない人は誤解してしまうかもしれない。角川春樹の証言の背景を丁寧に説明すると、当初、1979年に石森章太郎と平井和正でお互い別々に幻魔大戦を始めようという合意のもと、石森章太郎はリュウ掲載版幻魔大戦の連載を開始し、平井和正は真幻魔大戦の連載をSFアドベンチャーで開始した。だから、石森章太郎はリュウ版の原稿料・印税を平井和正と折半していないし、平井和正も真幻魔大戦の原稿料・印税を石森章太郎と折半していない。ここまでは問題が無い。ただ、問題だったのは、おそらく、平井和正が石森章太郎と共作した少年マガジン(コミック)版幻魔大戦のリライト・ノベライジングを石森章太郎と話をつけていなかったのではないだろうか。、角川書店野性時代で連載し、新書版化を行わずに、単価260円とか300円という子供の小遣いで買いやすい値段で矢継ぎ早に角川文庫化して行った。角川文庫版は確かに第3巻までが少年マガジン版をノベライズしたSFバトル小説で面白いのだが、第4巻以降が新興宗教の組織設立と組織崩壊の話という全然少年マガジン版と関係ない展開になる(当サイトの「コラム→作品「幻魔大戦」の成り立ち(3)を参照」)。3巻以降の続きを期待して読むととても面白くないのだが、大型SFを期待している少年・少女は「きっと何かの伏線だ。そのうち、この伏線が活きてきて1-3巻みたいなバトルSFに戻るに違いない」と期待し、今でいうスピリチュアルなものに魅かれる気のある少年・少女は4巻以降に展開される説教話に魅了され、角川文庫版を買い続け、角川文庫版幻魔大戦を始めとする平井和正の角川文庫作品は売れ筋商品となる(これが角川スニーカー文庫の市場の掘り起こしに貢献したライトノベルの始祖だという見方が可能なのである)。勿論、この角川文庫版に関しても真幻魔大戦と同様に平井和正は石森章太郎と原稿料と印税の折半はしていなかった。しかし角川映画化を契機に石森章太郎サイドと平井和正サイドが揉めて図012の角川春樹の証言の通り、平井和正は途中から角川文庫版幻魔大戦20巻の印税の50%を平井和正に支払うことになったのである。③については後述の図017で紹介する。 「狼亭」マニアック画像 平井和正フェア 2003/08/08(Fri) 12:10 狼亭主人
図 13´ 平井和正の証言としては、"思えば「幻魔大戦」、それが平井和正の黄金時代だった。いくらでも金は入ったが、金を使う時間などないので、漫画家の石ノ森章太郎氏と半分に収入を分けた。どうせ税金にほとんどもっていかれるのである。"というのがある。2003年8月の証言。NHKアニメ「火の鳥」の総合テレビ放映期間が2004年4月~6月だが、その1年前である。『2018年2月徳間書店 HYPER HOBBY VOL.07 P25 石ノ森のDNA②』で早瀬マサト先生が「実は何年か前にNHKで(火の鳥の後釜番組として)アニメ化の企画が立ち上がったことがあって、その時に石森プロに平井先生が来られまして、七月さんを紹介されたんです。」との発言している(当サイトの「コラム→作品「幻魔大戦」の成り立ち(4)」を参照)。NHKの見積依頼としては"2004年7月開始"で2002年か2003年に企画の依頼が来ているはずなため、2003年8月頃に「もう時効だから良いだろう」という感じで投稿したのではなかろうか。石森章太郎との折半に応じた理由を「金を使う時間などない」としているが、それは"野性時代版幻魔大戦をハルマゲドンに改題"した事実とやや矛盾する。おそらくだが、平井和正が某Kマネージャーの抗議の根拠に反論できなかったか、或いは平井和正自身が幻魔大戦執筆に没頭していたがために反論の労力と知恵と手間を割かなかったか、或いは他の何らかの理由があったのではなかろうかと思われる ja.wikipedia.org/wiki/幻魔大戦シリーズ#cite_ref-12
図 13´´ Wikipediaの「幻魔大戦シリーズ」Wikiの備考では「小説版『幻魔大戦』は、当初少年マガジン版のノベライズを目的として書かれたため、印税は全巻、少年マガジン版の共同原作者であった石ノ森との折半になっている」と書かれているが"なっている"という表現が誤っている。正しくは"一時期なっていた"である。いつ頃まで折半していたのかは調査できなかった。推測だが、石森プロの"金のなる木"である仮面ライダー(仮面ライダーBLACK)の放送開始が1987年10月。それを遡る事1987年1月~8月にかけて徳間書店から「平井和正ライブラリー」第1集~第8集として「野性時代版幻魔大戦」と未発表だった「ハルマゲドン 第二次幻魔大戦」(但し1984年で執筆を中断したため未完)がハードカバーで刊行された。1987年3月に徳間文庫でも刊行されていた「新幻魔大戦」が角川文庫で山田章博のイラストで刊行され、1987年11月から1988年12月まで徳間の「真幻魔大戦」第1部が角川文庫で同じく山田章博のイラストで刊行された。私の妄想だが、石森プロとして仮面ライダーで大きな売上が見込めるようになったため、石ノ森章太郎サイドと平井和正サイドで野性時代版幻魔大戦の印税折半が解消されたのではないだろうか。若干、脱線するが、前年の1986年に平井和正はリアル犬神明騒動でファンや関係者から不信を買っていた。1987年の仮面ライダーBLACKに先立ち、印税折版の約束が解消され、"角川書店出版物で幻魔大戦というタイトルを使うと原稿料・印税の50%を石ノ森章太郎に支払う"という約束を平井和正は守る必要がなくなったため、その記念に1984年に執筆を中断した未完のハルマゲドンという餌をぶら下げてヒライストをターゲットにした高価なハードカバーを徳間書店で刊行したのではなかろうか?その際、そのバーター取引として新幻魔大戦と真幻魔大戦第一部の版権を角川書店にも許可したのではなかろうか? あと、平井和正ライブラリー各一集ごとに収まる文字数は野性時代版の文庫本三巻分あるのだが、平井和正全集第7集には野性時代版幻魔大戦の第19巻と第20巻が収録され、余った分に「少年マガジン版『幻魔大戦』原作ストーリー」が一部収録された。この冒頭の部分は、魔法大戦第一話"宇宙の敗残兵"第一景「宇宙の魔法大戦」でなく、少年マガジン版幻魔大戦連載第1回のストーリーをシナリオ小説風に書いたものとなっている。これは図05に引用した2018年07月30日の早瀬マサト先生の発言と矛盾するものである。ただ、1982年に平井和正が某Kマネージャーの抗議に屈したところから連載第1回のプロットを平井和正のシナリオ小説を使わずに執筆したことは確かだと推測できる。では、平井和正全集第7集に掲載された「少年マガジン版『幻魔大戦』原作ストーリー」の連載第1回分は何だったのだろうか。『狼より若き友への手紙』を読んでいると、1972年11月頃に、新幻魔大戦の写植のクレームをつけてきたファンとの手紙のやり取りで平井和正は「いずれ全面改稿して『小説・幻魔大戦』を刊行する計画がある」と書いていた。これは私WO8TimeSpace175ZERO2の妄想なのだが、1978年以前の1972年ごろに平井和正は既に少年マガジン版『幻魔大戦』の全面・改稿に少しだけ着手していて、連載第1回分は既に全面・改稿が済んでいた。それを部分的に使いまわしたのではないだろうか。―ハードカバー平井和正ライブラリー第7集の余った紙面を埋めるためのオマケである。ワザワザ紛失した魔法大戦原稿を探す手間は掛けていられない。有りもので済ませたのではないだろうか。 徳間書店 1986年4月 ウルフの神話 P84
図 14 1982年7月10日付の平井和正からファンへの手紙。角川版の「幻魔大戦」は二十巻でひとまず終了することになりました。物語が完結したわけではありませんが、諸般の事情があり(曖昧な狡い表現です)形の上で決着をつけざるを得なくなった次第です。(中略)第一期「幻魔大戦」は終りますが、すべてが終るわけではありません。どうかご心配なきよう。いずれ再スタートを切ることになるでしょう。その場合角川以外の書肆から出ることもありえますが、今は何ともいえません。
1983年3月に角川映画のロードショーが控えているのに、そのタイミングで連載を中断するのは不自然であるわけだが、図13までの資料をお読みいただくと、何かがあったことは想像に難くなくなる。当サイトの「コラム→作品「幻魔大戦」の成り立ち(3)」で既に簡潔に述べたつもりなのだが、幻魔大戦というタイトルを使い続けると、平井和正は自分の配分の50%を支払わなくなったため、角川文庫版幻魔大戦の野性時代での連載を中断し、タイトルと構想を変えて角川文庫版の続きを書くことにしたのである。1982年7月10日時点で角川文庫版幻魔大戦は17巻まで刊行されていて、6月の野性時代8月号には18巻目分が掲載されていた。平井和正としては、出来れば早く改題したかったのだと思う。角川書店や角川春樹と調整して、1982年年内の執筆分で連載を中断しようという事になったのだと思う。 徳間書店1982年9月SFアドベンチャー増刊SPECIAL ISSUE 平井和正の幻魔宇宙 平井和正を囲む読者代表特別座談会 最新の心境を語る アニメ版"幻魔大戦"について語ろう 1982年8月4日 ホテル・ニューオータニに於いて P50
図 15 「角川社長の霊感でもって、幻魔大戦のアニメ化をやりたいという申し出」。『PLUS MADHOUSE 4 りんたろう』のP80で、『さよなら銀河鉄道999』をやっている時に、角川春樹から直接ラブコールのオファーがあったと、りんたろうは語っている。「映画を作っている間は会えないので、一段落してから会いに行った」と語っている。図08の角川春樹の「昨年の夏『幻魔大戦』を正式決定」という発言と時期が一致する。図12の『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』のP183(劇場プログラムの引用)では、事の起こりは角川映画『蔵の中』の打ち上げパーティーの席上。脚本家の桂千穂が、「『幻魔大戦』を映画化しないのですか?」と春樹に訊ねた。とある。『PLUS MADHOUSE 4 りんたろう』のP148でも角川春樹の方で幻魔大戦を映画化しようとして、それに相応しいのは全然迷うことなく「これはりんさんだ」と思った。と述べている。しかし、2018年7月21日のトークイベントではりんたろうは次のように若干ニュアンスの違う事を語っていた。―劇場用アニメ「銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)」を観た角川春樹は角川映画のアニメを託すならば、りんたろうしかいないと考えていて、ある日、角川春樹がオーナーのクラブに呼ばれた。そこで角川アニメ映画を託したいと依頼を受けた。その時点では、角川春樹の方でやりたい作品は決まっていなかった。当時、角川春樹は某鉄道系グループの御曹司Tを預かっていて、その御曹司Tが幻魔大戦のファンだったため、「幻魔大戦」映画化の企画を上げてきたので、角川初のアニメ映画は幻魔大戦に決定したらしい。―幻魔大戦の映画化は角川春樹の霊感によって決定されたのではなく、角川春樹の交友関係を慮った結果だったらしい。
平井和正が角川映画幻魔大戦に関して原作料を含めてアニメ化に関する諸権利を一切放棄したというのはヒライストの間では有名な事実。平井和正が『幻魔宇宙』の対談で述べている通り、それは角川映画版幻魔大戦は自分の『幻魔大戦』ではないという主張を徹底するためだと発言している。それは確かにその通りなのだろうが、次のページで気になることを発言している。 徳間書店1982年9月SFアドベンチャー増刊SPECIAL ISSUE 平井和正の幻魔宇宙 平井和正を囲む読者代表特別座談会 最新の心境を語る アニメ版"幻魔大戦"について語ろう 1982年8月4日 ホテル・ニューオータニに於いて P51
図 16 赤線で囲んだ部分は、普通に読むと、角川アニメ映画版幻魔大戦のスタッフに対する批判である。しかし、よく考えてみよう。石森章太郎はアニメ製作に全然タッチしていないのに、製作・原作にクレジットされている。「私自身、SFアドベンチャーの『真幻魔大戦』を始める時、共作者の石森章太郎さんと話し合いまして、それぞれ自分の書きたい"幻魔大戦"を書こう、われわれだけでなく、本当にやりたい人がいたら、"幻魔大戦"をやってもらおうじゃないかという約束になっているんです。」
平井和正のこの発言、こうは読み取れないだろうか?
―お互いリュウ掲載版幻魔大戦と真幻魔大戦を始める時に、自分の書きたい"幻魔大戦"を書こうと約束したじゃないか。少年マガジン版のニューヨーク・ザメディ戦までを勝手にノベライズしたのは俺が悪かった。しかし、4巻以降は俺が独自にストーリーを展開し執筆した小説だ。なぜ、石森氏はあの時そう約束したのに、4巻以降の分まで配分を寄こせと主張するのだ?!そんなことをするなら、俺は映画の権利を全て放棄する。なぜなら、あれは俺の幻魔大戦ではないからだ。石森氏よ、そんな俺の筋の通し方を見て、自分が恥ずかしいと思わないのか?―
これは私WO8TimeSpace175ZERO2の単なる邪推に過ぎないが、平井和正の依怙地な迄の角川映画版幻魔大戦批判の姿勢からそういう事が読み取れなくもない気がしないだろうか。 1983年2月 角川文庫版幻魔大戦第20巻光芒の宇宙 あとがき
図 17 私WO8TimeSpace1758ZERO2がこのあとがきを読んだ時、正直、全然意味が解っていなかった。平井和正は変な人だから、こんな変な文章を書くのかなぁ?くらいにしか思っていなかった。コラムの作品「幻魔大戦」の成り立ち(3)にも書いたが、当初は少年マガジン版幻魔大戦のリライトであり、途中から少年マガジン版のリプレイ的続編という立ち位置に変更された角川文庫版幻魔大戦が、このあとがきで「コミック版幻魔大戦とは、全くかかわりがなくなってしまった。」と宣言し、続きは「ハルマゲドン」シリーズになると予告したのである。事情を知らない人には、何のことか訳が分からない。
上記の図06~図14の文献により、石森章太郎が野性時代版の「幻魔大戦」の配分を途中から受けていた事、関係が一時期うまく行っていなかったことが証明できることはご理解いただけると思う。しかし、上記の文献だけでは、証明できていないことがある。それは、石森章太郎の某Kマネージャーが平井和正に印税・折半を承諾させるために、過干渉をしていたということが上記の文献・資料からは読み取ることが出来ない。では、なぜ私WO8TimeSpace1758ZERO2はその事を知っているのか。それは上記の文献には登場しない、或る伝説の平井和正関係者の証言を2018年3月11日に得ることができたからである。その証言を得た時の話はいずれコラムで書こうと思う。・・・ただ、今になって、このあとがきを読み返すと、色々と思う事がある。このあと、平井和正はハルマゲドンを3冊分執筆し発表しないまま、1984年8月に幻魔大戦シリーズの執筆を中断し、更にその3年後の1987年に徳間書店で「平井和正ライブラリー」第1集~第7集で角川文庫版幻魔大戦をハードカバーで刊行し追従するファンに買わせて、「平井和正ライブラリー」第8集で角川文庫版幻魔大戦21-23巻目に相当する部分を発売した。しかし、その続きが書かれないまま、1991年のリム出版平井和正全集でのゴーストライター活動の暴露や1997年アスペクト刊行の角川文庫版幻魔大戦のまえがきが書かれ、『SPA!』1998年2月4日号で大槻ケンヂとの対談があり、2004年に「その日の午後、砲台山で」、2005年に「幻魔大戦 deep」がリリースされるわけだ。そういう経緯を振り返ると、コミック版に挑戦した割にこのあとがきの最後の段落に出てくる新しい「幻魔宇宙」は無限の可能性を秘めておらず、豊饒な超宇宙でもなかった事が事実として証明されて、平井和正が願った力は与えられなかったのだなあ、と思う。