2018年3月11日に神田神保町のブックカフェ二十世紀という古書店兼喫茶店のお店で催されたトークイベントに行きました。その時のことを思い出して書きたいと思います。前編で紹介した通り、登壇者は、石井紀男さんとオーライ・タローさん。中編では、そのトークショーの後の懇親会での話を思い出しながら書きたいと思います。石井紀男さんから特ダネを引き出すために、私WO8TimeSpace175ZERO2は秘策を講じました。たまたま持ち合わせていた徳間書店の『リュウ』Vol2とムック『平井和正の幻魔宇宙』Ⅰ~Ⅳと『ウルフランド』を持ち込み、石井紀男さんの目の前に置いて、実際に雑誌を手に取り、捲って頂きました。この策、なかなか効果的でした。 あと免責事項で申し訳ありませんが、なにぶん、1年以上前の出来事なので、話の流れをちゃんと覚えておりません。というわけなので、思い出した順で書いていきます。
(1)懇親会が始まり、開口一番、石井紀男さんは、『リュウ』Vol2の表紙を見ながら、こう仰りました。「いやー、石森章太郎とは揉めたね。」
WO8TimeSpace175ZERO2:突然のお言葉に面食らいながら、「な、何を揉めたんでしょうか・・・」
この時に伺ったのが、幻魔大戦 Rebirthの元ネタ 第10巻のコラムで書いた角川幻魔折半の事実であるが、念のため、その時伺ったお話を再度書かせて頂く。
幻魔大戦のアニメ化をきっかけにして、某Kという石森章太郎のマネージャーが平井和正に角川文庫の野性時代版幻魔大戦の原稿料/印税を「石森章太郎:平井和正 = 6:4」で分配するように要求してきた。なんでもこの某Kという男は元XX〇〇〇の〇〇〇だったらしい(すみません。ちょっとインターネットに公開できるような単語でないため伏字にしました)。平井和正は最初はとりあわなかった。そうすると、某K氏は証拠と称する様々な資料を平井和正にFAXでたて続けに送り付けてきた。その内容はプリンセス・ルーナのシーンや野球部のシーンは石森章太郎が考えて漫画を描いたというものだったらしい。石井さんは(小説を書いたのは平井和正なのに、なんで石森章太郎のマネージャーはあんなことするのかなあ)と若干呆れた感じで述懐されていた。「6:4」の根拠を某K氏に問うと「石森章太郎の方がビッグネームだから」という理由だったらしい。 今でいう粘着質な抗議に対し、平井和正は音を上げてしまい、「6:4は流石に無い。5:5なら納得できる」としぶしぶ譲歩するも、「どうすれば、支払わなくてよくなるの?」と某Kマネージャーに聞いたところ、某Kマネージャーは「作品のタイトルに幻魔大戦を使わなければ良い」と回答した。 そこで平井和正は野性時代版幻魔大戦を20巻で終わらせ、その続きの21巻以降相当の小説はタイトルを変えることにした。 ということで、平井和正は野性時代版幻魔大戦1~20巻に関する原稿料と印税の50%を石森章太郎に支払うことになった。真幻魔大戦はタイトルが真幻魔大戦なので払わなくてよいという事になった。私WO8TimeSpace175ZERO2は石井さんに質問した。「疑問なのですが、タイトルが"幻魔大戦"だから印税を折半しないといけないなら、リュウ誌の石森章太郎の方のタイトルも"幻魔大戦"です。これに関して、石森章太郎は平井和正と印税の折半をしていたのですか?」。石井さんのお答えは「していない。」だった。
幻魔大戦 Rebirthの元ネタ 第10巻のコラムでは、私はあえて、印税の50%を支払うことになったと書き、原稿料とは書かなかった。理由は、角川春樹の証言に「原稿料を折半していた」という記述が無いからである。もしかすると、思い違いかもしれないと思い、そうは書かなかった。
この「角川幻魔印税折版」。パッと聞くと、石森章太郎サイドが一方的に悪者に聞こえる。りんたろうの幻魔大戦トークショーでもりんたろうは石森章太郎サイドを良いようには言っていなかった。ヒライスト達も石森章太郎を良いように言う人は少ない。正直言うと、2018年の3月11日に印税折版の事実を聞いて、私WO8TimeSpace175ZERO2はとてもショックだった。-「あの石森章太郎が、そんなことをするなんて。。。仮面ライダーとかで金なんていくらでも持ってんじゃないの?」。しかし、私WO8TimeSpace175ZERO2は、7月の横浜西区願成寺前でのりんたろう/丸山正雄のトークショーと石巻での大瀬克幸×早瀬マサト トークイベントで或る結論に辿り着き、石森章太郎への失望をある程度乗り越えることが出来た。その事は、また、別のコラムにて書きます。
(2)当時の平井和正の高橋信次/高橋佳子親子へのご執心は相当なものだったらしく、GLAのセミナービデオ11時間分の視聴を石井紀男さんに強要した。川又千秋にも自分の作品の読書を強要したらしいが、平井和正は自分がハマっているものを自分の言う事を聞きそうな人に強要する性格なのかもしれない。筒井康隆は『フリースタイル』vol42でのインタビュー記事で言っていたが、石井紀男さんも同意見で「平井和正は高橋佳子に惚れてやられた」とのことだった(星新一も同意見だったらしい)。
(3)石神井の公衆トイレには「平井和正 続きを書け!」という落書きが大きく書いてあった。それを平井和正に報告すると、写真にとって来いと言われて、カメラに撮りに行った。
(4)『平井和正の幻魔宇宙』というムックを1982年9月に出版すると、ムックに出てくる「幻魔の標的」という本はいつ出るのだという問い合わせが徳間書店に相次いだ。今読むと、これは明らかにネタでやっているとわかるのだが、1982年にはこれがネタだとわからない純粋過ぎる人が結構いたらしい。実際に平井和正はこれのスチール用に「幻魔の標的」や「正雪戦記」の文章などを執筆した。太陽の戦士のポスターも実際に作った。
(5)ある日、石井さんが平井和正の仕事場を訪れると、玄関で祥伝社の編集者とバッタリ出くわした。すごく機嫌が悪そうな感じで出て行った。平井和正と話をしてみると、「祥伝社の編集者が自分の小説を宗教小説だと批判してきたから、お前は何もわかっていないと、祥伝社には版権の引き上げを喰らわせてやった」と勝ち誇ったように石井さんに語り出した。ヨイショしていい感じに平井和正に話を合わせて機嫌を取ったら、原稿が取れた。
(6)太陽風交点事件。小松左京はハードSFのホープ堀晃をつぶすなと早川に言ったが、「それぐらいいい」と言われて、小松左京はブチ切れた。早川の今岡は栗本薫とやったと横田順彌に吹聴し、それで横田順彌が「仲間のSF作家とやっちまったとは何事か!」とブチ切れて、仲間のSF作家をつれて引き上げた。その後、早川書房は海外SFと新人発掘をせざるをえなかった。
(7)幻魔宇宙Ⅲの高橋留美子との5時間対談。平井和正から「一言もカットするな」という指示。 あの対談はほぼテープ起こしと同様の状態で原稿を書いた。 事前に小学館から高橋留美子の漫画のカットを使ってよいと言われていたし、 文章だらけで絵が無いとキツく、スケジュールもキツかったので、仕方なくいっぱい漫画のカットを使った。 1984年3月に出版後、小学館から呼び出され、「使っていいとは言ったが、あんなに使うなんて思っていなかった」と小一時間説教を受け、それなりに大人としての誠意を示す対応をして事を収めた。
(8)
幻魔宇宙Ⅲの読者イラストを選んでいて、平井和正がおもむろに一枚の絵をさっと抜いて、こう叫んだ。 「この子は天才だぁっ!」。それが泉谷あゆみだった。当時15歳。 平井和正は自分のもとに呼び寄せて専属のイラストレーターにすると言い出した。 「まだ中学生。せめて、高校。できれば、美大に行かせてあげて、それからでも良いではないですか」と苦言を呈して取り合わなかった(平井和正は、高校とか大学なんて行かせなくてよい!とか言っていたらしい。自分は肩書に中央大学法学部卒と書く癖に・・・)。すると、平井和正は勝手に山口の両親に電話を直接掛け、「娘さんは天才です。」と両親を説得させて、上京させることにした。仕方がないので、関係者の人にお願いして、安全な住所を手配して関係者の人に面倒を見てもらった。
(9)平井和正の奥さんから相談を受けた。スルメを焼いて出したら、胃炎になったとイチャモンをつけられた。白蟻騒ぎで熱を出したのは平井和正だけで家族の他の人は何もなかった。あの人、なんかおかしいんじゃないでしょうか。と。
(10)
幻魔宇宙Ⅳの藤沢市片瀬山の暴走バイクの件。新聞配達員が早朝、平井和正の部屋の横の坂でエンジンのふかす音を平井和正がうるさいと感じるから訴えようと、カメラで撮るため、徳間書店のスタッフを動員し、朝4時から平井和正邸の外で待機させた。後のOB同窓会で当時の部下から「編集部長、あの時は大変でした。」といつも愚痴を言われる。
(11)色々と平井和正のわがままを聞いてあげた。個人のムックなんか作るべきではないとは思っていた。
(12)懇親会の最後の方で、私WO8TimeSpace175ZERO2は石井さんに「平井和正は二年後に幻魔大戦を再開すると言いつつ、『黄金の少女』の後に『地球樹の女神』を始めましたが、その時、どう思われましたか?」と質問した。
石井さんの答えはこうだった。 「あの時の平井和正は昔の話の使いまわしばかりして作家として枯渇しておりました。」
私が思い出した範囲ですが、以上のネタが、2018年3月11日のトークイベント懇親会の話です。
さて、後編では、この懇親会の内容の振り返っての感想や思った事です。後編を読むには、コラム一覧にお戻りになるか、こちらのリンクをクリックです。