前回のパート1では正典(キャノン)である少年マガジン版幻魔大戦 打ち切りの真相について述べた。
パート2では、その続編で早川書房SFマガジンで掲載されていた新幻魔大戦について、成り立ちと中断の経緯について述べる。
新幻魔大戦(小説版)のあとがきで、少年マガジン版幻魔大戦の打ち切りの後に再開の場を用意した人物は1971年当時早川書房SFマガジン編集長・森優だったことが述べられている。
「幻魔大戦」は、熱狂的なファンの要請もあって、石森氏と私の間ではずっと再開気分がくすぶり続けた。 適当な舞台を得られないまま、70年代を迎え、私はマンガ原作をやめて、小説一本に集中することになった。 もはや「幻魔大戦」再開の望みはなかった。
「幻魔大戦」に別の角度から再びチャレンジする機会を与えてくれたのは、森優(南山宏)編集長時代の「SFマガジン」である。 私はマンガの「幻魔大戦」をエピソードとして含む、さらに大きなスケールの"ハルマゲドン・ストーリー"を構想し、石森氏と協力して「新幻魔大戦」に挑んだ。
真幻魔大戦1のあとがき「幻魔宇宙」への招待1では、次のように述べている。
「新幻魔大戦」は、1968年ごろから、年表を作ったり、頭に浮かぶあちこちの断片を書き止めたりして、準備に取りかかっているのである。マンガ原作を書く気はなかったものの、相当な義務感の圧力に追い込まれていたことは間違いない。 「新幻魔大戦」の書き出しなど、十回近く改稿している。
1971年8月にSFマガジン10月臨時増刊号で「幻魔大戦・抄」という少年マガジン版のダイジェスト版を掲載し、 同年9月のSFマガジン11月号から「新・幻魔大戦」は連載開始した(当時は新と幻の間に・が入っていた)。 (※幻魔大戦・抄は新幻魔大戦劇画版の巻末に上・下にわけて収録されている)
幻魔大戦・抄は新幻魔大戦劇画版を入手すると読める。 |
---|
[まとめ買い] 新幻魔大戦(石ノ森章太郎デジタル大全) |
新幻魔大戦自体が特段評判が良かったという話を聞いたことがないので、おそらくだが、当時は平井和正/石森章太郎というSF系の作家と漫画家がなんかやっているくらいにSFマガジンの読者から思われていたのではないだろうか。
新幻魔大戦は正典のように打ち切りになった訳ではない。結局最終回となった1973年11月のSFマガジン1974年1月号の「新・幻魔大戦」の最後のページの余白には 「以下次号」と書いてある。しかし、次号の1974年2月号にはなぜか「新・幻魔大戦」が掲載されずに、『狼のレクイエム第1部』(掲載時の副題「ウルフガイ第3部」)が1974年4月号まで計3回だけ掲載された。
新幻魔大戦がSFマガジンで再開の目途が立たなくなった理由は、1974年に森優が早川書房を退職した事をきっかけにして、平井和正が早川書房から版権をすべて引き上げてしまったからである。 ウルフガイ全作品は祥伝社ノン・ノベルで刊行し直し、 サイボーグ・ブルース、虎は暗闇より、魔女の標的は角川文庫で刊行し直した。
森優は平井和正に「(自分に義理立てなんかして)そこまでしてくれなくてもよいから、早川書房からの引き上げはやめてほしい」と止めたが、 平井和正は森優の言う事を聞かず、 早川書房からの縁切りを強行した(後に平井和正が早川書房出入り禁止になる理由の一つ)。 私WO8TimeSpace175ZERO2は、そういうのはやり過ぎだし偏屈な人だとは思うが、1968年のSFマガジン覆面座談会事件のことを思うと、わからなくはない気がしなくもない。 噂で「新幻魔大戦の中断に森優の早川書房退職は関係ない」と仰る方がいらっしゃると伺ったため、このコラムの末尾にそれを証明する文献を追記しておくので、ご参照頂きたい。
振り返ってみると、新幻魔大戦もかなり作り手の内部的な事情により中断という結果になった。
1976年に平井和正は新・新興宗教団体GLAの教祖・高橋信次とその娘 高橋佳子に出会い、心酔してしまい、GLAに帰依してしまう。 1977年に
高橋佳子さんに教示を乞い、「ミカエルの言葉」を採り続けることに専念する。休筆7ヶ月間に及んだ。採録三千枚を超える。もはや元には戻れない。
とあるが、これはもはや平井和正ファンの間では常識と化した真創世記のプロデュース/ゴーストライター活動のことである。 で色々あって、1978年に結局を教団や女性教祖から距離を置くようになる。
この辺のことは、いずれ、当サイトでも触れるつもりである。
「新幻魔大戦の中断に、森優の早川書房退職が一因ではない」と仰る方がいらっしゃるらしいため、 参考に、その根拠をここに追記する。平井和正は、エッセイや自筆年譜の中で、「森優が早川書房を退職したため、版権を引き上げて、別の出版社で刊行し直した。ウルフガイ第三部『狼のレクイエム』を中断した。」と述べている。 社会人になれば、分かると思うが、会社(法人組織)と会社(法人組織)の商取引として、早川書房が会社の金と従業員のコストと手間と時間と労力をかけて、平井和正の著作を出版して、大ヒットして採算が取れたにもかかわらず、 森優という一社員が一身上の都合でやめるという理由だけで、「金の成る木」の商品を他社に持って行かれるというのは、出版社としては理不尽な対応だと受け止められる。 第三者的にみて、平井和正の何のつもりでそんなことをしたのだろうかと考えてしまう。 そんな理不尽な対応をされてまで、早川書房としては自社の雑誌に作品を掲載させるわけにはいかなかっただろうし、ビジネス的な背景を鑑みると、SFマガジンでの連載続行は難しい状況にあったことが推測できる。
平井和正年譜 徳間文庫刊行の新幻魔大戦の自筆年譜や平井和正全集 「メガロポリスの虎」の巻末に収録されたもの
昭和四十九年(一九七四) 平井和正 36歳(※WO8TimeSpace175ZERO2注:e文庫から配信されている新幻魔大戦収録の自筆年譜では三十五歳となっているが誤り) 絶版の「エスパーお蘭」を再編集した「悪徳学園」、アダルト・ウルフガイ「人狼地獄篇」、「超革命的中学生集団」をそれぞれハヤカワ文庫で刊行する。 これらを最後に早川書房と縁が切れた。森優が早川書房を志半ば(※WO8TimeSpace175ZERO2注:これ自体が平井和正の思い違いだったことは後述する)で退社したため。これを機にウルフガイ全作品を祥伝社ノン・ノベルにおさめる。 角川文庫で「サイボーグ・ブルース」「虎は暗闇より」(「虎は目覚める」及び「エスパーお蘭」の文庫未収録作品を集めたもの)「魔女の標的」(未収録作品集)を次々に刊行する。
ウルフレター(「狼より若き友への手紙」の文庫改訂版)のP65-P66
ウルフガイ第三部『狼のレクイエム』は、森優SFM編集長の退社を機に中断、書き下しとして祥伝社のノン・ノベルで出版します。
決定的な証拠として、2017年1月22日の森優の証言が2019年7月刊行のSFファンジン No.63 復刊9号に掲載された。P27より一部抜粋する。
平井和正のワガママに手を焼いたの思い出がもうひとつあります。わたしはあくまで個人的な事情で職を辞したつもりなんですが、彼は何かウラがあると感ぐったらしい。 まあ、ありていに言えばSFの部署の若い連中が主力になって組合を作ってしまって、当然ながら管理職のわたしは経営者側と組合側との板挟みになったわけで。 それともうひとつ、南山宏としての副業が軌道に乗り出したことも大きな理由ですがね。 それで思いきって早川書房を辞めたら、ちょうどその当時SFマガジンに同時連載中だった『狼のレクイエム』と絵物語版の『真・幻魔大戦』(※WO8TimeSpace175ZERO2注:『新・幻魔大戦』の誤り) の両方を突然打ち切っちゃたんです。 もちろん、わたしは必死に止めましたよ、「気持ちは嬉しいが、読者のことを第一に考えてくれ」って。 でも「俺はSFマガジンのために書いているんじゃない、森優のために書いているんだ」って。あれにはほとほと参りました。
以上