イギリスの詩人 John Donne (1572-1631)の詩 "死にのぞんでの祈り"
下線部:原詩
イタリック:大久保康雄による邦訳
ボールド:浜田省吾による邦訳
参考URL:
「誰がために」考 (アニメ・動画)| ぜろだまBlog
“人は島嶼にあらず”について
No man is an island,
なんびとも一島嶼にてはあらず、
誰も孤島ではなく
Entire of itself.
なんびともみずからにして全きはなし、
誰も自分ひとりで全てではない
Each is a piece of the continent,
人はみな大陸の一塊、
ひとはみな大陸のひとかけら
A part of the main.
本土のひとひら
本土のひとひら
If a clod be washed away by the sea,
そのひとひらの 土塊を、波のきたりて洗いゆけば、
そのひと握りの土を波が来て洗えば
Europe is the less.
洗われしだけ欧州の土の失せるは、
洗われただけの欧州の土は失われ
As well as if a promontory were.
さながらに岬の失せるなり、
さながら岬が失われ
As well as if a manner of thine own
汝が友どちや 汝みずからの 荘園の失せるなり、
君の友人や君自身の土地が失われる
Or of thine friend's were.
なんびとのみまかりゆくもこれに似て、
人の死もこれと同じで
Each man's death diminishes me,
みずからを 殺ぐにひとし、
自らが欠けてゆく
For I am involved in mankind.
そはわれもまた人類の一部なれば、
何故なら私もまた人類の一部だから
Therefore, send not to know
ゆえに問うなかれ、
ゆえに問うなかれ
For whom the bell tolls,
誰がために鐘は鳴るやと、
誰がために鐘は鳴るやと
It tolls for thee.
そは汝がために鳴るなれば
それは君のために鳴るならば
上記は少年マガジン版「幻魔大戦」の最終回直前回に、引用されたジョン・ダンの詩"死にのぞんでの祈り"。 このシーンに、これを引用したのは、平井和正。理由は幻魔大戦 Rebirth 第55話 「集結の時Ⅰ」のコメント欄 No.21とNo.26の内容。
No.21 2019/01/27 11:40:11
少年マガジン版幻魔大戦の連載第34回(最終回の一個前の回)で、John Donne 死に臨んでの祈り(大久保康雄:訳)を引用したのは、
平井和正なのだろうか。
石森章太郎なのだろうか。
少なくとも、作品のテーマや思想として幻魔大戦とサイボーグ009はここでつながっているのだと思う。
No.26 2019/01/28 12:22:36
No.21にあるご質問、これは七月さんも疑問に思っていた事でしたが、詩は平井先生の原稿に書かれていました。
ですから平井先生の発案でしょうね。(早瀬)
もし、あまたある日本アニメソングの中で究極のアニメソングというものを追及するとすれば、 究極アニソン候補にリストアップされるであろう曲が、石森章太郎(石ノ森章太郎)作詞の「誰がために」だ。
この歌を聴き終えて、「サイボーグ戦士はだれのために闘うのですか?」と質問されたら、あなたは何と答えるだろうか?
「愛のため。」と答えるのだろうか。「戦い忘れたひとのため。」と答えるのだろうか。
それらの回答は間違いではないが、正答でもない。より本質的な答えがある。その答えが、「死に臨んでの祈り」で述べられている。私はそう考えている。
少年マガジン版「幻魔大戦」は、サイボーグ009の実質的な完結篇とも呼ばれている「地下帝国ヨミ編」の少年マガジン連載終了直後に、連載された作品だった。 「幻魔大戦」は平井和正のライフワークであったと同時に、以降の石森/石ノ森作品を変えるターニングポイントとなった作品である。 この辺の考察は宝島社『生誕80周年記念読本 完全解析! 石ノ森章太郎』のP222-P227 齊藤貴義氏 "転機となった『009』と並ぶ未完の大作『幻魔大戦』"という評論をご覧いただきたい。
本作において、平井と石ノ森、どちらがより強いオカルト要素をアイデアとして提供したのか明確なことはわからない。 石ノ森は「SFマンガの第一人者」として語られることも多いが、 『009』をはじめとするそれまでの作品群は、 あくまで「SFガジェットを持ちこんだアクション作品」だったといえる。 それが『幻魔大戦』では、宇宙からの脅威そのものを物語の中核に据え、 観念の戦いをエンターテインメントとして読ませている。 物語の構造自体にSFの"マインド"を取りこんだのだ。これは石ノ森という作家の大きな変化である。
日本を代表するSF作家のひとり・平井和正とのセッションは、元来のSF好きとしての石ノ森がリミッターを外すのに、 十分なきっかけになったのではないかと想像する。 これを機に、石ノ森はよりSF志向に寄り添った作品を手がけていくことになる。
石ノ森による、SFと、オカルトというロマンの融合。 これらの原点にあった大作『幻魔大戦』は、単に日本SFマンガ史に残る傑作というだけでなく、 石ノ森世界の豊潤さを見渡す際に、決して外すことのできない重要作品なのだ。
さて、サイボーグ009の主題歌「誰がために」は当初3番分が用意されたが、尺が長くなるという理由でボツになった歌詞がある。その歌詞を下記に紹介しておく。
没歌詞
楽曲名:誰がために
作詞者名:石森章太郎(石ノ森章太郎)
轟く雷鳴 良く似合う
機械の戦士と ひとのいう
だが九人の熱き血は 荒野に散らす 愛の花
怒りに咆える胸の音 笑顔で隠す 涙雨
サイボーグ戦士 誰がために闘う
サイボーグ戦士 誰がために闘う
轟く雷鳴 よく似合う
機械の戦士と 人の言う
だが我々は赤き血を 緑野に咲かす愛の花
怒りに吼える胸の音 笑顔に隠す涙雨
サイボーグ戦士 誰がために闘う
サイボーグ戦士 誰がために闘う
轟く雷鳴よく似合う
機械の戦士と人の言う
だが9人は熱き血を 緑野に咲かす愛の花
怒りで駈る闇の森 泣いて曇らす青い空
サイボーグ戦士 誰がために闘う
サイボーグ戦士 誰がために闘う
轟く雷鳴 よく似合う
機械の戦士と 人の言う
だが9人は赤き血を 緑野に咲かす愛の花
怒りで駆る闇の丘 泣いて曇らす青い空
サイボーグ戦士 誰がために闘う
サイボーグ戦士 誰がために闘う
追記:
近畿地方で有名なアニメラジオ番組(アニメ派生やアニメ声優によるラジオドラマではなく、アニメ関連の情報のやり取りを行うラジオ番組)に、「青春ラジメニア」という番組があり、 1990年3月24日のゲストが井上和彦氏だったのだが、たまたま「誰がために」が掛かり、2コーラス目が終わった後の間奏にピタッと収まるように島村ジョーの次のセリフを入れられた。
愛を認めない神なんて、そんな神があってたまるか?!
ボク達はちっぽけな人間だ。
だがボクは...だがボクは...オマエを神なんかとは認めない!
誰がために(ラジメニア井上和彦セリフ入りVer)
このセリフ自体は俗に新ゼロと呼ばれている1979年版サイボーグ009の第3話 「凱旋門の鬼」というエピソードのラストで、 自らを"アスガルドの神"と名乗る謎の老人オーディンの残忍な行いに憤った島村ジョーが、新たなる敵への闘志を燃やすときに呟いたセリフを流用したものだと思う。
1990年3月24日の放送テープは1995年1月17日の阪神・淡路大震災で残念ながら焼失してしまい、もうマスター音源は残っていないが、 近畿圏の石森章太郎ファン/石ノ森章太郎ファンの伝説となって伝わっている井上和彦エディション「誰がために」なのではなかろうか(関東首都圏でそんな伝説を聞いたことは一度もないが)。 このエディションが石森ファンに響いてしまうのは、当時、やはり、サイボーグ009の「天使編」や「神々との闘い」というものが未完で、井上和彦氏がおそらくサイボーグ009完結篇の渇望感を助長するようにそのセリフを入れていたからだと思う。 その後、サンテレビで新ゼロの再放送を見た私の感想はちょっと期待はずれなものがあったが、今を思えば、この時に刷り込まれたベクトル感覚が私を幻魔大戦オタクへと駆け上らせてしまったように思う。
話はちょっと変わるが、この井上和彦氏のセリフ。1990年3月24日(厳密には3月25日)当日に「誰がために」の曲が掛かって、井上和彦が即興でラジオブースで吹き込んだわけだが、 私は余りにも息が合いすぎるし、事前に吹き込むセリフやタイミングを練習してきたのだろうか?と思った。 ラジオパーソナリティの岩崎和夫氏が井上和彦氏の余りの即興技の匠に驚かれていたが、今を思うと「流石に仕込んでいないとアレは無理じゃないかな?」と思っていたところ、次のリンクのYahoo!知恵袋の記事を見つけた。
サイボーグ009・井上和彦・青春ラジメニア - いまから15年前後ほ... - Yahoo!知恵袋
2009/6/1111:24:01
いまから15年前後ほど前のことですが、ラジオ関西の番組「青春ラジメニア」に声優の井上和彦さんがゲストに来られました。その時リクエスト曲で、サイボーグ009の主題歌「誰がために」がかかったのですが、その途中、間奏の部分で、井上さんが即興でジョーの台詞を言って下さったのです。スゲー格好良かったのですが、その時の台詞の全文をおぼえておられる方、記録されてる方、録音されている方とかいないでしょうかね。もし居られたら、教えていただきたいです。古い上にローカルなので、難しい質問なのは百も承知ですが、正直藁にすがっています…
2009/6/1113:16:02
このセリフを歌の途中で入れたのは、この番組が初めてではありません。それより何年も前に、『とべとべヤングABC』というラジオ番組のゲストに井上和彦さんが来られた時に、OP"誰がために"がかかった時に仰ったセリフです。
ネットでググると「とべとべヤングABC」というのは1979年ごろに大阪の朝日放送ラジオでやってたラジオ番組っぽい。 井上和彦が昼の時間にそればっかりやってたバリバリ現役のサイボーグ009島村ジョーだった時期である。 当時のABC朝日放送は既にテレビ朝日の系列になって4年経ってた時期なので、 番宣のためにABCラジオの若者向け番組に出演して間奏の尺をバシッと見切って、若き日の井上和彦氏の瞬発力で「凱旋門の鬼」のラストのセリフを間奏に入れてしまったのかもしれない。 とはいえ、1979年や1980年から10年程経った1990年でもスッと出たのが凄い。